仙台地方裁判所 昭和34年(わ)478号 判決 1960年7月13日
被告人 日下力雄
大一四・八・三〇生 研師
主文
被告人を無期懲役に処する。
押収してある日本刀一振(証第一号)を被害者五十嵐芳夫に還付する。
訴訟費用は、全部被告人の負担とする。
理由
(被告人の経歴及び犯行までの経過等)
被告人は本籍地で農業を営む父曰下源兵衛の三男に生まれ、同地の小学校高等科を終えてから、二年余り群馬県下の中島飛行機製作所に徴用され、昭和一八年頃、志願兵となつて満洲に渡り、飛行部隊の整備兵等として軍務に服しているうち、終戦を迎え、引続きソ聯での抑留生活を送つた後、昭和二五年八月頃復員し、実父の許でしばらく家事農業に従事中、昭和二七年四月現在の妻けさいと結婚し、越えて昭和三一年一月、田約三反、畑約一反、その他住宅等を父から貰い受け、妻子を連れて近くに別居するようになつた。
これより先被告人は、昭和二七年一〇月頃、同じ部落に居住し、研師の親方として東北地方の業者仲間で名前の知られていた大沼猛から頼まれ、二ヶ月程同人の仕事を手伝つたことが縁となり、その後、妻子を置いて約二年間、北海道札幌市の左官屋の許で、研磨等の仕事に従事し、人並みの技術を身につけたので、昭和三〇年春頃研師に転向し、大沼に頼んで、同人が左官屋から請負つた建築現場で、研磨仕事に専念することになり、最初は、大沼方の現場責任者として、各現場を廻つていたが、昭和三一年八月頃、同人が仙台市の藤本左官屋から、盛岡市の川徳デパート及び電報電話局工事の研磨作業を請負うや、さらに同人から、いわゆる切現場として、右両現場の作業を合計一八万円で下請負するようになつたところ、その作業中、同地に出張していた前記藤本左官屋の現場世話役から、大沼の請負金額が二六万円であるとの理由で、金額相応の仕事をするよう注意され、その頃金使いの荒かつた被告人は、大沼の利鞘が多すぎるのに反感を覚え、右の作業を進める傍ら、大沼には内密で、盛岡市内の左官屋に出入りし、勝手に同市内における数ヶ所の研磨作業を請負つたばかりでなく、大沼方から派遣された職人をこれらの現場に使つたため、やがて職人の口から大沼の知るところとなり、同人との間に融和を欠くようになつた。尤も当時は、未だ右のことから同人と仕事上の手を切る程には至らなかつたが、昭和三二年七月頃、前同様同人から同人が請負つた岩手県一本木町の自衛隊新築工事の研磨作業を、さらに一七万円で下請負し、その後、大沼の請負金額が二二万円であることを知るに及んで、親方の利益は一割か、せいぜい一割五分が相場であると思つていた被告人は、同人の重ねてのやり方に憤慨し、作業完成により同地を引上げた同年九月頃、大沼方に談じ込み、余り儲けが強いから、もう少し貰わなければならないと責め立てて追い金一万円を貰い受けたが、そのため同人から「今後は一諸に仕事ができないから、一人でやれ」と言つて縁を切られ、その後は、どちらからともなく、同じ部落に住んでいながら、道路で会つても、互に挨拶すら交さぬ間柄になつた。
かくして、大沼と喧嘩別れになつてから、独立して、一時前記藤本左官屋や大沼と肩を並べていた研師の親方安藤陸哉等から、仕事を下請していたが、職人に賃金を支払わず飲み屋を遊び廻り、又は工賃を二重取りする不正までしたため、やがて右両名からも見放されたので、昭和三三年九月頃郡山市の池田左官屋に住込み、同人から仕事を貰つていたところ、この間大沼が出入りの左官屋等に被告人の悪口を言つていることを耳にし、独立した自分を快よく思わぬための妨害と思い、一時は憤慨したものゝ、確かな証拠がないまゝに、仕事の上で大沼を倒し、同人を見返してやろうと考えていた。しかし大沼は一流の研師であるのに、被告人は新顔で、経験が浅く、又地盤も資本もなかつたところから、固より同人の競争相手ではなく、殊に郡山市に出たものゝ、同地方面には職人が居らず、すべて仙台市周辺から呼び寄せる関係上、大沼を初め、仙台方面の親方より、賃金を張るのでなければ、職人を集められない不利があつて、小さな現場を取るのが精一杯であつて、自然利益も少ない反面、作業を円滑に進め、仕事を取るためには、現場の職人を初め、他の組の鳶職等にも一杯飲ませる必要があつて、いわゆる交際費に収入の半を当てなければならない始末であるのと、昭和三四年六月頃、同じく池田左官屋で働いていた力丸節子(当時二五才)と懇ろになり、次で夫婦約束までして、同市方八丁高石町四五番地の同女方で、同棲するようになつたので、郷里の妻や親、兄弟から、女と手を切るように責め立てられたうえ、しばしば郷里に連れ帰された空白にも妨げられ、仕事に身が入らず、同年九月頃には、かねて応援を頼み、一緒に仕事をしていた同業者の実弟正に現場の仕事を委せざるを得なくなり、昭和三四年に入つてからの生活は、職人等に対する未払金もかさみ、郷里の妻子に対する送金も、同年六月以降は殆んどできかねたばかりか、情婦節子との生活費にすら事欠く状態であつた。
しかし、この間同年八月末頃、郡山市の建築現場で働いている請負業者間組の現場主任から、同組で請負つた同市仲町の第二うすゐデパート改築工事が、近く着工し、小林左官屋が入り込むこと及び同工事には人造大理石を使用し、突貫工事をすること等を聞かされたうえ、できるだけ応援するから、仕事を取つたらどうかと言われたので、このような利益の多い作業は容易に手に入らなかつた丈けに、同作業を請負うことができれば、相当まとまつた金が手に入るばかりか、実績を残すことにより間組との関係ができ、将来の足がかりとなり、延いては郡山方面における地盤も固まり、これまでの不振を一挙に挽回し、大沼を追い越す絶好の機会でもあると考え、内心大いに期待を寄せ、実弟正にも、デパート工事の研磨を請負つた場合の応援を頼み、小さな仕事を捜さずに日時を徒過していた。そして同年一〇月二〇日過頃から、同工事の現場に数回足を運び、小林左官屋の現場世話役伊東雅之助に面会のうえ、研磨作業を請負わせてくれるよう協力方懇請し、同人に見積書を提出するまでにこぎつけたが、その見積金額は、他より相当勉強したつもりであつたし、年末を控え、殆んど収入の途が絶えていただけに、右伊東からの吉報を心待ちにしていたところ、同月二五日頃、同人から、仙台の親方に伺ひを立てた結果、すでに大沼と契約を結び、五万円の内金を渡されている、手を打つのが、一足遅れた旨の回答があつたため、これまでの期待が一挙に覆り、前途に希望を失う反面、このような破目におち入つたのは、結局大沼が横槍を入れたためだと思い込み、その仕打を極度に恨むようになつた。
そこで被告人は、やがて迎える正月の準備も考え、兎に角、急場を切り抜けようとして、同月末日までの数日間、郡山市内及びその周辺の左官屋数ヶ所をかけ廻り、仕事を捜して見たが、いずれも徒労に終つたので、翌一一月に入るや、次第に大沼に対する今迄の、つもりつもつた憤激が一時に爆発し、急速に同人を恨むと共に、商売仇の同人さえ居なければ、一一月七日から作業開始と聞いている前記デパート工事の現場も、ひよつとすると自分の方に転がり込んで来るのではないか、さらには、間組で近く請負うという福島の現場は勿論、福島、郡山方面における現場が一挙に手に入ることになろうと考え、やうやく大沼殺害の計画が脳中を支配するに至つた。
(犯罪事実)
被告人は、昭和三四年一一月に入つてから、大沼を殺害する方法及び犯行後被害者側から警察に連絡されることを防ぐため、電話線を切断すること等に思いを廻らしつゝ同月四日を迎えたが、同日は昼間節子方の薪運搬などを手伝い、同日午後二時頃に至つて、同女が金を持つているのに気づき、旅費の工面ができると知るや、いよいよ同夜大沼を殺害しようと決意し、同女に行先を感ずかれぬよう外出の機会を窺つているうち、夕食後同女が入浴に出掛けるのを知り、これに先立ち、仕事の関係で左官屋まで出掛けるように装い、一旦戸外に出たうえ、同女が外出した頃を見測らつて引返し、かねて同女の隣室(郡山市方八丁高石町四五番地)に居住している五十嵐芳夫が日本刀を所持しているのを知つていたところから、これを盗み出し、大沼殺害の兇器にしようと思い、折柄不在中の右五十嵐方居室において、タンス内から同人所有の刃渡三〇糎余の日本刀一振(証第一号)を窃取し、自宅に引返してペンチ一丁(証第三号)を持ち出し、ゴム長靴(証第二号)を履き、アノラツクを着用し、旅費を調え、「用事があるから二本松まで行つて来る。今晩出掛けたことは誰にも言うな。」と記載した節子宛の書き置きを残して自宅を出発し、途中郡山駅前附近の電気器具店から、懐中電灯一本(証第四号)を買求め、午後六時四五分頃、同駅発下り列車に乗車したが、大沼方最寄りの大河原駅で下車すれば、顔知りの駅員等に見られることを虞れ、その隣り駅の船岡駅に同夜一〇時頃下車したうえ、堤防上道路や畦道を選び乍ら、目指す柴田郡大河原町小山田字二つ堂三一番地所在の大沼方に向い、小山田部落入口にある通称六角橋袂の石碑前で三〇分位小憩し、最後の決断に思いを廻らした後、いよいよ決行の意を固め、再び同所を出発して、一旦大沼方前附近まで行つたが、かねて計画していた電話線の切断を思い出し、大沼方東南方約一一〇余米の地点に立つている電信柱に赴き、これによじ登つて、所持のペンチで北側の電話線一本を切断した後、同所で風呂敷及び着用の白ワイシヤツを脱いで頭から二重に覆面し、不要のアノラツクや日本刀の鞘等をその場に残し、左手に懐中電灯を、右手に抜身の日本刀をひつ下げ、翌日午前零時三〇分頃、勝手知つた大沼方玄関右横の釜場出入口から台所を経て、妻かつの(当時四五才)等と一緒に就寝している大沼猛の寝室奥六畳間に忍び込み、懐中電灯で同人の就寝個所を確めたうえ、その枕元に至り、前記日本刀を以つて仰向けに熟睡中の同人の頸部を目がけて突き刺す等をなし、因つてその頃同所で、右大沼猛(当時四六才)を、右総頸動脈の切断等による失血のため死亡するに至らしめ、次で物音に目を覚したかつのに騒ぎ立てられるや、顔見知りの同女に発覚されるのを惧れ、とつさに同女を殺害しようと決意し、同日本刀で数回切りつけ、同女が戸外に逃げ出るや、これを追いかけ、前記釜場出入口前方八米余の地点で同女の背後から切りつけたが、同女に逃げ去られたため、同女に対し入院加療約一月を要する右肩部、右肘関節部、右手背部切創等の傷害を負わせたのみで、殺害の目的を遂げなかつたものである。
(証拠の標目)(略)
(法令の適用)
被告人の判示所為中、窃盗の点は刑法第二三五条に、殺人の点は同法第一九九条に、同未遂の点は同法第二〇三条、第一九九条に該当する。
そこで、量刑について考えるに、人の生命は何ものにもかえることのできない貴重なものである。この貴い生命を奪い又は奪わんとした被告人の責任は極めて重大である。殊に本件犯行の動機は、被害者かつのに対するそれは兎も角、被害者猛に対してのそれは、単なる怨恨ばかりでなく、同業者を兇刃によつて倒し、自己の営業地盤を獲得せんと企図したものである。しかも前者の点は、被告人の邪推に基くもので、全く理由のない、いわゆる逆恨であることが明らかである。なる程猛が、川徳デパート、自衛隊等の研磨作業を被告人に下請させるに際し、一般の基準を超える利鞘を取つたことは認められるが、もともと請負金額は、双方納得合意の上決定した筈であるから、特別な事情がない以上、後日に至つてその改訂を求める何等の権利がなく、本件において、右の特別事情は認められない。また猛のやり方に不満があつて、喧嘩別れとなつた後、同人が被告人の悪口を言つたことも窺われるが、判示のような被告人の行状及び喧嘩別れの経緯を考えれば、被告人に非難されるべき点が多く、仮りにこの点を別としても、利害相反する同業者間の、世上にありふれた陰口の範囲を出るものではなく、まして被告人の営業を妨害した事実は全く認められない。思うに猛は東北地方屈指の親方であるから、同人が手広く工事を請負う反面、被告人の活動範囲が狭められるのは必定で、本件犯行の決定的契機とも目される第二うすゐデパートの研磨作業が猛の手中に帰したのも、右の外、同人が従前から、小林左官屋の専属研師をしていたことに徴し極めて当然というべく、寧ろ被告人こそ、右両者の間に割り込まうとしたものであることを反省しなければなるまい。これを猛の中傷による営業妨害と考えるのは、全く勝手極まる邪推と断ぜざるを得ない。また、後者の地盤獲得の動機が極めて不純であることも多言を要しまい。もともと被告人が営業不振になつたのは、盛岡市内での稼働中から、酒色に耽り、次で郡山市に転じてから、妻子を捨てゝ情婦の下に走り、事業に専念しなかつたことによることが窺われるから、自ら反省して生活態度を改め、不断の努力を傾注し、着実に基礎を作るべきであるのに、喧嘩別れをしたとは言え、多年恩顧を受け、特に責むべき点のない同業の有力な親方を抹殺することによつて、自己の商売を有利に導かんとしたことは、道義を無視した悪質な犯罪というべく、その結果、前途多い被害者猛は一瞬にして貴い生命を剥奪され、その遺族は夫であり父である一家の柱石を失つたばかりか、被害者かつのは辛うじて兇刃の犠牲を免れたとは言い、身に重傷を負つて病床に呻吟し、なお後遺症を残すという、最悪の不幸に追い込んでいる。右のほか、本件犯行が計画的でその方法も大胆、かつ巧妙、その手段たるや鋭利な日本刀を以つて、安眠熟睡者の頸部を狙い刺しにする等陰険、残虐なものがある点、当時世間の耳目を衝動させ、社会的影響力も甚大なものがある点等、その情状において、酌量すべき点が極めて少く、その罪は正に万死に値するものといわざるを得ない。
しかし、被告人には本件以前に何等の前科がなく、また、本件犯行が計画的であるとは言え、その間、人としての遅疑逡巡の跡も認められ、期間は短く、殊に判示六角橋附近で決断に迷つたのは、残された良心が最後の抵抗を試みたものというべく、犯行後公判廷においてもその最終段階ではあるが、罪の重大性を認識し犯行の一切を自供して、犯行後改悛の情も認められる外、実父において、生命の代償としては、固より比較すべくもないが、被害者かつのに対し、二五万円の慰藉料を払い、被告人の妻子と共に、只管謹慎の意を表している点等被告人の経歴、犯行後の情状を考慮すると、いま直ちに被告人を極悪非道の犯人として極刑に処することは、躊躇せざるを得ない。永く囹圄の身とし、被害者猛の冥福を祈らせると共に、遺族の成長、発展を希念せしめることを以つて刑政の目的を達し得るものと考える。
よつて殺人の罪につき無期懲役刑を、同未遂の罪につき有期懲役刑を各選択し、右両者と前記窃盗の罪とは、同法第四五条前段の併合罪であるが、同法第四六条第二項により、殺人の罪につき被告人を無期懲役に処して、他の刑を科さないこととし、押収してある日本刀一振(証第一号)は判示窃盗の罪の臓物で、被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三四七条第一項により、被害者五十嵐芳夫に還付し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り、これを全部被告人に負担させることゝする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判官 佐々木次雄 太田実 千葉裕)